Room7-8、Room9

ニムルドのアッシュールナシパル2世宮殿とニネヴェのセンナケリブやアッシュールバニパル宮殿を飾っていたレリーフがそれぞれRoom7-8とRoom9の両壁に数十メートルに亘って展示されている。

ニムルド

アッシリアの時代にはカルフと呼ばれ(ニムルドは現在の地名)、それまで廃墟となっていた地にアッシュールナシパル2世(在位前884年~前859年)が壮大な宮殿や神殿を建て数万の人々が暮らす首都を造営したと言う。

王は勝ち戦を記録した碑文に、‘私は捕虜を奪いその多くを火の中で燃やした。生かしておいた者のうちいくらかは手首を切り落とさせた。残りの者からは鼻、耳、指を切り落とさせた。兵士の多くから私は目を取った。彼らの若者、娘、子供等を焼いて殺した’と刻ませるほど残忍な征服王であった。

王がアルメニア、ヒッタイトやアラムを征服、さらに軍を西に向けた時には、フェニキアの諸都市はアッシリア軍が来ると聞くと進んで朝貢に応じたと言われている。こうして得た莫大な財力で新都カルフが建設されたわけである。
その宮殿の通路や中庭の壁は守護精霊、属国の朝貢 、捕虜の観閲、戦いの場面やライオン狩などのレリーフで飾られていた。

たくさんの守護精霊のレリーフが並んで展示されているが、その幾つかを見ていくと、

鷲頭の精霊のそばに立つアッシュールナシパル2世

聖なる樹のそばでアッシュールナシパル2世が鷲頭の精霊の前後から祝福を受けているようである。鷲頭の精霊は左手の手桶から湧き出た聖水を右手の松ぼっくりから王に振りかけているのであろうか? 王座の間の前には鷲頭の精霊と聖樹ばかりのレリーフが飾られたところがあったと言う

聖樹の前のアッシュールナシパル2世

権威の象徴である王杖を持ち、儀式用のローブを着たアッシュールナシパル2世が聖樹を挟んで両側に描かれている。王が2度現れるのは聖樹の周りを回っている王を動的に表したということなのかも知れない。王は有翼円盤のなかの神を拝む姿勢をしている。神は多分、太陽神シャマシュで、手にリングをつけているようだ。

子鹿を抱く守護精霊

小鹿を抱いた守護精霊、北西宮殿の王座の間に通じる門の1つを守っていたのだそうだが、魔術を使って建物の入口を守ることは古くからのメソポタミアでの習慣であった。有翼の守護精霊はアプカルと呼ばれた超自然の創造物であるが、抱かれている子鹿と手に持った小枝がどのような意味を持つのかは良く分かっていないらしい。

王の即位の場面のレリーフ

アッシュールナシパル2世の宴会の間から出土。このレリーフは特にすばらしい出来とされ、着物に施された繊細な切れ込みは刺繍のようである。アッシリアでは通常被っている冠で王と分かるようになっているが、バケツを伏したような型の帽子に巻かれた2条の頭環が背中に垂れ下がっている。王の後ろには多分宦官と思われる従者が王の武器と蝿たたきを持って立っている。

属国の朝貢

北西宮殿の王座の間の正面を飾っていた各国の朝貢団の一場面である。貢物を運ぶ2人の使者が描かれていて、1人目は北西シリアでみられるターバンのようなものを被っていて、両腕を胸の前に上げているので服従を表していると言う。2人目のフェニキア人は2匹の猿を貢物として連れている。猿はエジプトか南部アラビアのもので、フェニキアはこれらの地域と活発な貿易を行っていた。アッシリアの王達は珍しい外国の動物や植物を収集するのを好んだと言う。

戦いの場面

アッシリアの王たちは治世のほとんどを軍事遠征で過ごしたと言われているので戦いの場面のレリーフには事欠かない。その幾つかを拾ってみる。

戦車攻撃

アッシリアの高官が戦車に乗って敵の騎兵を川の方に追い詰めている。討ち取られた敵を見るとターバンを被っているので北西シリアあたりのようである。

さらに、聖なる戦旗を掲げたアッシリアの戦車が敵の戦車を圧倒しながら前進しているレリーフもある。辺りはブドウ畑が広がる景色である。戦旗の1つはアダト神を表し、他はネルガルだろう言われている、アダトは雷雨と豊穣、ネルガルは地下世界の支配者らしい。

アッシュールナシパル2世が有翼円盤の庇護のもと戦車攻撃の先頭に立っている場面では、王は敵を川のそばから敵の都市を囲む果樹園の方に追い詰めているようだ。8本のスポークの敵の戦車は王の前で破壊され、上部では敵兵が仲間を安全なところに引きずっているところも描かれている

渡河

戦いの局面では川を渡って攻めていくことになるが、渡河の様子が描かれたレリーフもある。
馬丁に引かれて馬が泳ぎ、一方戦車やベッド、ジャーなどが小舟に載せられて運ばれている。長丁場の遠征ではベッドなども運ばれていたらしい。

アッシリアの高官が軍の渡河(多分、ユーフラテス川)を指揮している、いく人かの兵は毛皮の浮き袋につかまっており、他のものは舟に戦車を載せようとしていて臨場感がある。

野営陣地

野営陣地が描かれている興味深いレリーフもある。
円形の兵舎は真上から見ると4つの部屋があり、それぞれの部屋は横から眺める格好で食事の用意をしてところや、平たい帽子を被った僧が動物の内臓を検分して戦いの行方を占っているところなどが描かれている。垂直な視点と水平の視点が1次元で表現されていて面白い。中央には馬の手入れをする馬丁、右手の王の兵舎のそばでは囚人が前に連れ出され、兵士は勝利を祝うためにライオンの毛皮を着ているようだ。

都市攻撃

足首までの長いうろこのよろいを着た高官が敵の都市をめがけて矢を放っており、後ろには戦車が控えている。禿げ鷲が敵の死体を貪っている。
また、別の都市攻撃ではアッシリア軍が敵の城壁に迫っており、いく人かの兵士が壁の下部を破ろうしているが、攻撃の主力である破城兵器が攻撃を続行中である。敵は破城兵器のレバーのデェーンを掴んでいるが、アッシリアの兵士はフックを正常な状態に保っている。敵が松明を投げつけているが破城兵器から出る水が炎を消している。

さらに、アッシュールナシパル2世が敵の城をめがけて矢を射ており、一方兵士は城壁に梯子を登って城内に乱入しようとするもの、城壁の下部を破って侵入しているものなど。敵の兵士が城壁から落ちていたりするので落城は真近のようだ。
また、王が楯持ちに守られながら遠くから矢を放ち、その前では攻城兵器がさらに多くの射手を運んでいる。攻城兵器が槌を機械で城壁に打ち付けている。敵の何人かは射返しているが、降伏している兵もいる。 戦場の様子がリアルに描かれていて面白い。

勝利の行進

アッシュールナシパル2世が有翼円盤の神に守られて勝利し陣地に帰還している、御者が王の買え馬を引いて続いている。また、アッシリアの神々の戦旗を掲げた戦車が陣地へ勝利の帰還をしている。彼らの前方を進む兵は敵兵の首を振っており、禿げ鷲が兵の首を掴んで飛び去っている。

捕虜の観閲

このレリーフはアッシリアの戦いの典型的な結果を表していると言われ、捕虜と戦利品の検閲の様子が描かれている。アッシリアは戦利品をすごく正確に記録したと言われているが、これは貢物が軍事遠征の重要な要素であったことを示しているのだそうだ。アッシリアの兵士が捕虜を王の処に連れてきており、幅広のヘッドバンドをしている男は何か気になることがあって引き出されているらしい。戦利品が空中に表されているのは余白の利用か?
また、アッシュールナシパル2世が戦車から降り、廷臣と捕虜の行進を観閲している場面も描かれている。1人のアッシリア兵が王の足にキスしている。多分、この兵士は戦いで目ざましい働きをしたのであろう。

ニネヴェ

ニネヴェはセンナケリブやアッシュールバニパルなどが都を置いたところである。

センナケリブ

サルゴン2世の息子のセンナケリブ(在位704~681BC)は即位すると父親が造営したドゥル・シャルキン(コルサバード)を捨て古くからの都市であったニネヴェに遷都した。勇猛な若者であったが、父に似ず我が儘で思慮に欠けていたらしい・

センナケリブは父の時代に抑えられていたバビロニアがエラムの支援を得て離反の動きを見せたので何度も遠征するなどバビロンに悩まされ続けることになる。一方、西方ではユダ王国がエジプトと結んで反抗しようとしたので、ユダ王国のラキシュなどの諸都市を蹴散らしてエルサレムに迫るが、陥落させることなく撤退している。聖書にもこのセンナケリブの遠征が触れられていて、エルサレムを包囲した18万5千のアッシリア兵はヤハウエによって皆殺しにされたそうだ。

王が‘並ぶものなし’と豪語した南西宮殿のたくさんの部屋はアラバスタのレリーフ壁で飾られていた。有翼人面牡牛像の制作場面も刻まれていて興味深い。

有翼人面牡牛像の制作場面

有翼人面牡牛像は石の巨大な角材を宮殿まで運んで来て彫刻加工したものと思っていたが、石切り場で粗制作された後、船に乗せて宮殿まで運んで仕上げの彫刻をしたようだ。少しでも軽くして運搬しようとするアッシリア人の知恵が感じられて興味深い。
石切り場の作業、王の検閲の様子、川への運搬、宮殿への輸送などの場面が様子が5つのレリーフに物語風に描かれている。

王の検閲

王が2人の従臣に引かれた戦車の上に立って作業を見守っている。王に日傘をさしたり、扇いだりする従臣もいる。王の検閲の後、像はバラタイからニネヴェに輸送されるのである。3匹の鹿と子供を連れた野生豚が茂った葦の茂みに隠れている。

川への運搬

莫大な数の捕虜がソリに結び付けられたロープを引っ張っている。親方が轍の上のコロの位置を調整している。上部には川(多分、ティグリス川)が流れ、堤防には木が並んでいる。川では2隻の舟と大量の木材を組んだ筏がきしみ合っている。多分この木材は宮殿の屋根材になる。

宮殿への運搬

巨大な有翼人面牡牛像は未だソリの上である。有翼人面牡牛像の仕上げの彫刻は宮殿の入口に据えつけられてから行われる。高官が牡牛像の上に立って角笛で指図をしており、牡牛像は長くて太い丸太を梃子にして少しずつ前に進んでいる。
周りには木材やロープなどの資材を運んだ荷馬車が何台も見える。また、職人がのこぎり、手おの、つるはし、シャベルなどの道具を持ってきている。上部の川では舟がさらに多くの資材を運んでいる。

センナケリブ王の戦いの場面

・・・・アランムへの攻撃開始

アランム(王の碑文にはThe city of ‘・・・・alammu’I attacked and capturedと述べられていて
アランムで終わる名前の都市であることは分かっているが‘・・・alammu’が何処なのかはっきりしていないらしい。エルサレムと関連づける向きもあるらしいが、描かれているブドウやザクロの木からアッシリア北部の山岳地方という見方もあるようだ )

アッシリアの兵士の大軍団がアランムの町に向かって行進している、たいていの兵士は大、小の丸い盾と槍を持っている。攻撃は敵に向けて石を投げつけることから始まるが、行進の先頭の辺りではすでに矢を放っていたり、高官が剣を振り上げて攻撃命令をしているようである。足元には川が流れ、上部には木々やブドウが実っているところが見られる。

アランムの町を征服した後、捕虜がアッシリアの王の前に連行されている場面では、アッシリアの兵のなかには敵兵の首を持ち運んでいるものもいる。センナケリブ王は多分戦車に乗っているのだろうが、この部分は欠落しているらしい。

南部バビロンへの遠征

沼地での戦いの場面では、カルディア人の部族と思われる敵は沼地に住んで葦の束でつくった舟を操り、彼らの何人かは葦の茂みに隠れるか、あるいは逃げようとしているようだ。しかし、多くは捕えられ家畜と共に連行されることになる。アッシリアの係員によって記録された後、王の検閲を受けるのである。

沼地の戦いで捕虜となった敵兵が家族や持ち物と一緒に椰子の森のなかをアッシリの本部に向かって行進しているところでは、敵の首をいくつも持ったアッシリア兵は褒美にブレスレットを貰っている らしい。

アッシュールバニパル

アッシュールバニパル(在位668~627BC)は最盛期のアッシリアの最後の王である。
アッシュールバニパルはアッシリアの王のなかで読み書きが出来、アッカド語やシュメール語にも通じたアッシリアきってのインテリ(メソポタミア広しと言えども読み書きの出来る王は2人しかいなかった)であるが、他方、エラムと戦った時には敵のテウマン王の首を刎ね、王妃と庭で開いた祝宴で周りの木にその首をぶら下げたていたと言われているのでアッシリアの残忍な血は脈々と流れていたようだ。

即位後、父エサルハドンのエジプト遠征の継続、アッシリア王に従属する地位のバビロニア王に就かされた兄の反乱、エラムの鎮圧など治世41年の前半は軍事遠征に明け暮れたが、後半は記録が乏しいので大きな征服戦争はなかったのではと言われている。(アッシリアでは征服戦争が毎年のように行われていたので、この年はどの国を攻めたかを記録することで年代記になっていた)

アッシュールバニパルが造った図書館は全土から集めた2万5千以上の粘土板からなり、メソポタミアを研究するうえで貴重な資料となっている。今日われわれが西洋史を読むようにメソポタミアについて知ることができるのはアッシュールバニパルの図書館が果たした役割が大きいと言われている。

守護精霊

向かい合った獅子頭の2人の人物は争っているように見えるが、そうではなく何処からやって来るか分からない悪魔から攻撃を守っているのである。この種の精霊はウガルー、あるいは大ライオンと呼ばれていたと言う。獰猛なライオンの頭が写実的に描かれている。

アッシュールバニパルがエラム軍を打ち破りテウマン王の首を取った‘ティル・トゥーバの戦い’と、その首を近くの木の枝につるして王宮庭園で宴を催した‘庭園での饗宴’のレリーフは傑作との評判であるので是非見たいと思っていたが、どうやら見逃したようだ。

獅子頭の精霊、争っている訳ではない