JALのパリ行きは関西空港からは出ていないので、伊丹から成田経由である。座席はインターネットで通路側の24Cを指定していたのだが、ちょっとしたイザコザがあった。JALからの電話で、24Cはある客が一旦指定し、その後キャンセルしていた席だが、その客がまた24Cの席が欲しいと言っているとのことで、反対側の24Hの席を用意するので何とかならないかと言う話である。他人が指定している席をドケというのは失礼な話だが、そういう無茶苦茶な申し出にも何とか応えたいとする接客の苦労が目に見えるようなので、一言いやみを言って申し出を受けた。

当日・・・・
ツアーとちがって乗り換え待ち時間があまりないので、出発ラウンジで一休みしてすぐに搭乗口に向かう。
11時20分、ほぼ定刻に離陸。平行飛行に移ってから食事が運ばれてきたが、見た目では少し質が落ちている感じである。1月に更正法を申請して破綻したところなので、あらゆるところで合理化、コストカットをしていることの表れかも知れない。ま、味音痴の自分にはどうでもよいことであるが・・・・

食後、少しゲームを楽しんだ後、新書版の‘シュメール・・・人類最古の文明’を取り出す。今回はこのほかジャン・ボッテロの‘メソポタミア文明’やルーヴルや大英博物館のサイトから主な展示品の解説などをダウンロードして持って来ており、自分としては珍しく準備をした感じである。

で、メソポタミアの歴史など・・・・・・

年代 おもなできごとなど
BC9000~
7000年頃
西アジアで穀物の生産や家畜の飼育が始まった頃の遺跡が、メソポタミア北部の山地でも発見されている。
7000~
5500年頃
ハッスナー期、サーマッラ期 彩文土器が作られた
ハラフ期 男女の土偶、銅製の装身具、利器が作られ始めた
5500~
4000年頃
ウバイド期 灌漑農法により高収穫農業となった。また本格的な青銅器時代に入った。BC5000年頃にはメソポタミア南部には集落が出来た
4000~
3100年頃
ウルク期
メソポタミア南部にシュメール人がやって来て村落を形成、やがて都市がつくられる。 ユーフラテス川沿いの南部に形成された都市ウルクにはいくつもの神殿が集まったエアンアと呼ばれる聖域が造られていた。
ウルク期の後半には文字の書かれ、粘土板や円筒印章が作られた。また都市に支配者が出現し始めた
3100~
2900年頃
ジェムデト・ナスル期
南メソポタミアに都市国家が興り、都市文明が広がっていった
2900~
2340年頃
初期王朝時代
初期王朝時代の最初はキシュ王国、続いてウル、ウルク、ラガシュ、ウンマ、ニップールなどの都市国家が南部に、ユーフラテス川中部にはマリが興るなどして、互いに競い合っていた。この時代には彫刻が盛んになり、神殿に奉納された。また、神殿以外に大きな宮殿を造る王が各都市に出現した
2340~
2190年頃
アッカド王朝
西方より移って来たセム系の人々がシュメールの社会に溶け込んでいたが、そのなかの1人、サルゴンは主人のキシュ王を倒し、自ら王となりアッカド王朝を打ち立てた。そして短期間に周囲のシュメール都市国家を支配下におさめた。しかし、孫のナラムシンの頃からグティ人の侵入と各地での反乱によりBC2190年頃に滅亡した
2112~
2004年頃
ウル第3王朝
グティ人の侵入により混乱したシュメールのなかにあって、ラガシュは独立を維持し、グデア王の時には繁栄した。
ウルクがグティ人を倒し、王ウル・ナンムの時にウルに遷都、ウル第3王朝を開き、シュメールの全域を支配する大国になった。月神ナンナの神殿が建立されジグラットが建設された。繁栄したウル第3王朝もBC21世紀末に滅亡、セム系のイシン王朝やラルサ王朝などが争うことになる
2017~
1595年頃
古バビロニア時代
西方からやって来たアルム人がバビロニア王国を建てたが小国であった。6代目のハンムラビ王がバビロニア王国をメソポタミア最大の勢力にまで拡張した。マリ王国もハンムラビによって崩壊させられた。国内政策でもハンムラビ法典を制定するなど行政手腕を発揮した
1600~
1160年頃
カッシート時代
バビロンを攻略したヒッタイトが退却したあと、カッシート人が王朝を興した。土地の境界に立てられたクドゥルは土地贈与証書の役目をし、この使用は後の王朝にも引き継がれBC7世紀頃まで存続した
1100~600年頃 アッシリア帝国
馬や戦車、鉄器を使用し、残忍行為で恐れられたアッシリアがメソポタミア全域とシリア、パレスチナを支配するようになり、BC722年にはイスラエルを滅ぼし、BC671年にはエジプトも支配してアッシリア帝国はオリエント地域全体を支配する大帝国になった。アッシュールバニパル王の時期にアッシリア帝国は最盛期を迎えるが、治世後半期から衰退していく。
600~539年頃 新バビロニア
ネブカドネザル2世は首都バビロンの再建を行う一方、しりあやパレスチナに進出し、BC597年にはユダ王国を攻めエルサレムを占領、王族はバビロンに送られる。ユダ王国が再び反乱を起こすが、鎮圧され、バビロンに強制移住させられる。
BC539年、アケメネス朝ペルシャによって新バビロニアは滅ぼされる。