チュイルリー公園の端っこにあるオランジュリーは16年ほど前、ツアーのフリータイムにモネとルノアールが大好きだった妻の後ろにくっついて見たことがあり、妻はほどなく病をえて亡くなってしまったので印象深い美術館である。
パリはその後、2回ほど訪れたことがあるが、その時にはいずれもオランジュリーは改装中であった。再開したのは2006年のことで、改装工事に6年もかかったのは、工事中に16世紀のアンリ3世時代の遺跡が見つかり調査に時間を要したことが一因らしい。この辺りはパリを防衛する城壁が築かれていたところなので、何処を掘っても遺跡が出て来るはずで、文化財となればどこの国でも無視して工事を進めるわけにはいかないようだ。

17世紀にはチュイルリーは公園として整備され、オランジュリーは公園の果樹を収容する温室の役割をしていたそうだ。オランジュは仏語のオレンジである。
さて、ルーヴルを出たのが4時前、久しぶりに頭をつかった疲労感もあり、チュイルリー公園を散歩がてら歩いて行くことにした。地下鉄の一駅間もある広大な公園であるが、平日の昼間にもかかわらず人出が切れることなく続いている感じである。パリのど真ん中にある広大な緑はパリっ子の自慢の一つらしいが、お上りさんや外国からの観光客にも憩いを提供しているようである。

親友であったクレマンソー(強権政策で知られ、首相も務めた)の勧めで、晩年のモネは睡蓮2点を描き国に寄贈することになり、展示されるオランジュリー美術館の改装も自ら手がけていたそうだ。モネの没後、ほどなく8点からなる大作、睡蓮は楕円形の部屋2室に展示され、美術館を訪れる人々に画家の集大成であり絶筆となった睡蓮を堪能させてくれている。

前回訪れた時には2階にルノアールやセザンヌなどが展示されていたが、今回の改装では2階を取っ払ったうえ、地上に出して大きなガラスの天井と窓から自然の光を睡蓮の間に取り入れるようにしたそうだ。モネの希望通り、刻々と移り変わる日中の自然光が戻ってきたわけだ。

入口に続くすっきりとした通路空間を通って睡蓮の間に入ると、縦30m、横15mもあろうかと思われる楕円形の部屋の壁をぐるっと睡蓮が囲んでいる。小舟から水面に浮かぶ睡蓮や水草などを眺めているような贅沢な空間に身を置いている感じである。

睡蓮の間1は、水のエチュード ・・・ 朝No1、緑の反映、雲、夕日と題された4枚の睡蓮である。絵は見ることが好きなだけの絵画音痴、さらに視力も急速に落ちている自分には、全体を視野に入れようと離れて立ってみるとぼやけてしまい、近づいてみるとその部分しか見えず全体のつながりが分からない。少しは勉強しおくべきだと思うのだが、喉元過ぎるとすぐに忘れてしまう。

部屋の真ん中に置かれた楕円形の椅子に座ってぼんやりしていると、英語が話せますかと50~60才くらい?のご婦人に声をかけられる。聞けば、キャノンの一眼レフをノーフラッシュにする仕方が分からないので困っているとのこと。デジカメと違って一眼レフではモードダイヤルにノーフラッシュのマークがあるので慣れないと分かりにくのかも知れない。モードダイヤルを回してノーフラッシュにしてあげると嬉しそうである、ノーフラッシュにしないとここでは日本の高級カメラも用をなさない。(この後、顔を合わす度に微笑みながらかすかに頭をさげる仕草をされるので、少しは役立ったのかと気分がよい)

次の睡蓮の間2には、朝No2、木々の反映、2本の柳、朝の柳など、柳の木をモチーフにしたものが多いようだ。

前回2階に展示されていた作品は新しく造られた地下の展示スペースに移されている。ピアノを弾く娘たち、長い髪の浴女、風景のなかの裸婦などルノアールが10点あまり、セザンヌは静物や風景、肖像画など、このほかマティス、ドラン、モディリアーニ、ユトリロ、ピカソなどなど。(2013年、オランジュリー美術館に戻る)