献酒碑の頂上部(スーサ出土、ウル第3王朝BC3000年紀後期、高さ67cm 白色石灰石)

左側に立っているのは頭部が欠けているが、多分王で、2房の実が生ったナツメヤシ椰子の木に飾られた祭壇で椅子に座った神の前で献酒の儀式を行っている場面とされている。
円錐形の冠を被り王座に腰掛けている神は、空に太陽がさんさんと輝いていることから太陽神シャマシュと推測される。太陽神シャマシュはシュメールでよく見かける権威の象徴の杖と円環を持っている。ウル第3王朝時代に建てられたものだが、BC12世紀にエラムによってスーサに持ち去られたもの。

メリシバク王のクドゥル(スーサ出土、BC12世紀初期、高さ65cm、幅30cm 黒い石灰岩)

この碑もスーサから発見されたが、エラムがバビンから持ち去ったもの。
クドゥルは土地所有の権利を明示するために所有地の境に立てた境界石で、カッシート王朝時代に盛んに作られるようになったと言う。
黒い石灰岩の一枚岩からなる碑は、表面を平坦にならし浮彫りを施し、裏面にはメリシバク王(BC1186~1172年)が子共たちに土地を与えたことを記してある。
表面は5段に仕切られ、各段に様々な神のシンボルが並んでいる。最上段には月神シンのシンボル、太陽神シャマシュのシンボルとイシュタル女神のシンボルの金星が刻まれている。その下は、解説によれば、左から天の神アヌ、神々の王エンリル、水の神エア、母神ニンフルサグそれぞれのシンボルなのだそうだ。
2段目には冥界の王ネルガルなどのシンボル、3段目にはバビロンの主神マルドゥク、書記の神ナブのシンボル、4段目には雷の神アダトのシンボルなどバビロンのパンテオンがおどろおどろしく表されている。
これらの神々は保証人として、碑に述べられている王の贈与を守護する役割をしているのだそうだ。

未完成のクドゥル(スーサ出土、BC12世紀初期、高さ54cm、幅36cm 白い石灰岩)

この未完成のクドゥルもスーサで発掘されたものだが、完成したもの未完成の状態のものなどカッシート王朝時代にたくさん作られたことが窺える。
このクドゥルでは、上の「メリシバクのクドゥル」と違って、1番上の段にパンテオンの最高位の天空神アヌなどのシンボルが刻まれ、2段目に月神シンなどの天体神のシンボルが表されている。メソポタミアの最高神のパンテオンを1番上の段にするか、天体神を1番上の段に表わすのか、決まりはないようだ。この未完成のクドゥルでは天体神のシンボルの獣や神の従者が楽器を演奏しているようであり、興味深い。
碑文が書かれるところは空白となっており、このクドゥルが未完成であることを示しているが、底部には2本の角を持った蛇がクドゥルに巻きついているところが刻まれている。角を持った竜はバビロンで最も人気のあったマルドゥク神のシンボルである。‑

ラルサの礼拝者(ラルサ出土、BC1800年代前半、高さ19.5cm 青銅、金箔)

ターバンに似た帽子をかぶった男が右膝をつき、メソポタミアの慣習に従って右手を顔の高さに挙げ祈りを捧げている。男の顔には礼拝者らしい真剣な表情に加え、王者の風格が備わっている。
礼拝者像は台座の銘文には、ハンムラビ王の長命を願って奉納したものと記されており、この像はハンムビ王そのものを表している可能性が高いと言われている。
ターバンに似た帽子をかぶった男が右膝をつき,右手を顔の高さに挙げ祈りを捧げている。男の顔と両手先には金箔がかぶせられている。台座の側面には一面に小さな羊の姿が、清めの水を受けるとろであろうか。また他面に奉納者のアウィル・ナンナルを含む二人の人物が見られ,前方に小さな受け皿がついている。金箔を貼った男の顔には礼拝者らしい真剣な表情に加え,王者の風格が備わっている。

野生ヤギ像(ラルサ出土、BC1800年代前半)

3頭の野生山羊が背中合わせに立ち上がっているブロンズ像。カップ・スタンドだと説明されているが、どのように使用されたのかよく分からない。
この像と上のラルサの礼拝者像の2つはバビロニア南部の都市ラルサの遺跡から盗掘された作品だそうで、ルーヴル美術館が購入して収蔵している。

ハンムラビ王の頭像(スーサ出土、BC2000年紀初期、高さ9.7cm 閃緑岩)

高さ10cmにも満たないこの頭像は古代オリエントでも最も有名な彫刻の1つとされ、すぐれて高品質な彫刻であること、年配の人物が表されていることからハンムラビ王の像ではないかと言われていた。しかし、丁寧に整えられた頭髪や首に巻かれた髭などはBC2000年前後の彫刻にみられるものでハンムラビ王より時代的には少し遡るものらしい。
リンカーンのような面長の風貌、少しそげた感じの頬、何段にも重ねられた巻き毛など、思慮深い年長者の表情のように思われるが、目が心なしか少しうつむいているようで優しさも感じられる。

メソポタミでは現在の意味での個人の肖像と言われる概念はなかったとされるので、写実的なものではなく熟年者の威厳と優しさを理想化したものかも知れない。

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