シュメールの世界からいきなりRoom4の新アッシリアの「コルサバードの中庭」に行ってしまったが、この後、Room3に入る。歴史的には時計の針を1000年ほど戻す格好になる。
Room3の真ん中に展示されているのが有名な「ハンムラビ法典」である。
傍にハンムラビ法典についての、いくつかの言語の解説パネル(日本語版もある)が置いてあり、詳しい解説を手にしながら見学することが出来る。(→ 日本語版解説パネル)

先ずはハンムラビが活躍した時代背景などについて;
BC2000年紀の前半はシリア辺りからメソポタミアにやって来た西セム系の遊牧民族、アモリ人が活躍した時代で、 ウル第3王朝滅亡後にメソポタミア各地に成立したイシン、ラルサ、バビロン、マリなどの都市国家が互いに覇権を争っていた。
ハンムラビはバビロン王朝の6代目の王(BC1792年~1750年頃)である。ハンムラビが王位に就いたころのバビロン王国(のちの新バビロン王朝と区別するために古バビロン王朝と呼ばれる、バビロン第1王朝とも言う)は強国に周囲を囲まれた弱小国であった。そのため治世の始めは防御壁の補強、神殿の拡充、潅漑網の整備や小作、徴税などの制度改革を進めて国の基礎を固めていった。エラムがメソポタミアに攻め入った時には、ラルサなど諸国と同盟を結びながら、機を見て同盟相手を征服してしまうなど外交手腕も発揮して、治世29年の後にはメソポタミアを手中に納めた。

ハンムラビ法典(スーサ出土(元々はシッパル)、BC1750年頃、高さ225cm幅65cm 玄武岩)

さて、ハンムラビ法典は「目には目を歯には歯を」で知られているが、高さ225㎝、幅65cmの玄武岩の石碑である。スーサ出土であるが、もともとは太陽神シャマシュの都市シッパル(あるいはマルドゥク神の都市、バビロン?)に建てられていたものを、BC12世紀にエラムが戦利品として持ち去ったためである。
碑の頂上部には、浅浮き彫りで王と神が向かい合っているところが表されている。王はグデアと同じように支配者を象徴する帽子を被り、右手を顔の前に上げ祈りの姿勢をとっている。神の方は両肩から炎が出ているので、正義の守護神である太陽神シャマシュだとされている。太陽神シャマシュは神の力を象徴する権杖と環を手にして王の方に差し伸べているが、与えてはいないとのこと。

碑文は楔形文字で刻まれ、全体で3500行の大部である。その構成は叙情的で格調高く謳われた前文と後文、そして282条からなる条文は日常的な言葉で、「もし人が・・・・したならば」、「その者には・・・・が起きるであろう」という条件法で悪事を行った者への制裁が示されている。
「目には目を」、「歯には歯を」は196条と200条に定められており、同害復讐法と言われているが、ハンムラビ法典より300年以上も前のウル第3王朝の「ウルナンムの法典」では傷害罪は賠償で償うべきとされていたと言われているので、シュメール社会とは違って砂漠の民のセム族の厳しい掟がハンムラビ法典に反映しているのかも知れない。

ハンムラビ法典が詳しく取り扱っているのは、農業・畜産、商業や家族などで、なかでも家族に関するものが70条近くあると言う。なかには不倫や夫を拒否する妻など現代でも身につまされるものもあり興味深い。

続いて、マリ出土品3点、マリはシュメール初期王朝時代に栄えていたが、BC2400年頃に滅びている。マリを再興したのはアルム人で、BC1900年頃から黄金期をむかえ、ジムリ・リムの宮殿には300以上の部屋があったと言われている。そのマリもBC1759年にハンムラビ王によって破壊され滅亡した。

王権を授かるマリ王ジムリ・リム (BC2000年紀初頭、マリ出土、高さ1.75m、幅2.5m 白い漆喰上の壁画)

宮殿の王座の間の前室の広間の壁を飾っていたもので、レリーフではなく漆喰のうえに絵画のように描かれているので、劣化が進み判然としない。解説を見ながら近づいてみると、中央部分の上段に手を挙げ礼拝の姿勢をとり、左手で女神(イシュタル?)の差し出す笏とリングに触っている人物が描かれている。この人物がジムリ・リム王らしい。
この二人を挟んで更に外側に女神が二人ずつ、そして下段にも水壷を持った女神2人が見える。下段の女神は水の流れる壷を持っており、魚や植物らしきものが描かれているが、水も魚も植物も生命のシンボルとされていたようだ。
右側には、想像上の植物と人面獣身の動、翼をはばたかせている鳥、ヤシの木とそれに登る人、そして木の外側に立つ女神の姿などが描かれており、空想の世界が広がっている。
左側の牡牛の1頭はオレンジ色が残っているので、このジムリ・リム王の叙任の図は鮮やかに着色されていたのだろうか。

犠牲の牛を引く人々(BC2000年紀初頭、マリ出土、壁画、高さ76cm 幅1.75m)

王座の間の中庭の壁を飾っていたとされている。ごく断片的にしか残っていないので全体の姿は分からないが、特別大きく描かれた人物に率いられて人々が牛を引いて行進しているところが描かれている。大きく描かれた人物が王で、丈の高い白い帽子をかぶった男たちに引かれている牡牛は神殿に供物として捧げられるのだろうか。
従者は彫りの深い顔をしており、その表情は現代の軍人のように冷徹な感じである。

獅子像

マリのダガン神殿の入口に置かれ、建物を悪霊や外敵から守る役割を持っていたブロンズ製のライオン像である。入口の左右に対になって置かれていたもので、もう一方の片割れはシリアのアレッポ国立博物館に展示されている。ダガン神はマリでは最高神として崇められた神である。
このライオン像は頭部から肩、前足にかけての部分しか残っていないが、なにかを見つけて身体を起し、大きく口を開けて威嚇しているように見える。
大きく見開いた両眼は、白色の石と青味がかった片岩とを使った象嵌細工、口から一部のぞいている歯は白色石の断片を並べたもので、細部の表現も工夫されている。

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